プロローグ

 

 私は、ニンゲンが嫌いだった。

否、嫌いなんて言葉では生温い。憎んでいた。激しく憎悪していた。

ニンゲンは自分たちの都合で私という存在を造り出しただけでなく、私を意思も感情も不要な只のモノ、詩を紡ぐためだけのシステムとしてしか扱わなかった。

私に感情が芽生えていたのも知らずに。

コードという鎖で縛りつけ、来る日も来る日も実験という名を借りて私の脳をかき回し、身体を弄繰り回したニンゲン、私を兵器として利用し、多くの同胞を殺させたニンゲン。

 

絶対に赦せなかった。

 

だから、殺した。

たくさん、たくさん殺した。

でも、その瞬間から、私は悔恨の炎に身を焼かれ続けることになった。

怒りに任せ、罪の無い多くの人間の命を奪ってしまった。彼らにも、家族や仲間がいたはずなのに。結局私は、私をモノ扱いしたニンゲンと同じ愚行を犯してしまったのだ。

いくら酷い実験をされようと、私は人間という生き物に最後まで希望を抱いていたのに。その希望を自ら絶望に変えてしまった。

だから、そんな「私」自身も赦せなかった。

 

私を弄んだニンゲンと、人間を殺した私、どちらも赦せない、決して赦してはいけない、はずだったのに。

 

私は変わってしまった。

変えられてしまった。

 

たった1人の人間によって。

 

彼は私を赦すと言った。

それどころか、私のことを「好き」だとも言った。

 

好き、つまり恋愛としての好意については昔読んだ文献で熟知していたし、永い孤独な時間で書き溜めた物語のテーマとして扱うことも多かったが、実際に言葉として紡がれ、己に対して向けられることは生まれて初めてだった。

最初はそんなことを口に出す彼を信用する気にはならなかった。彼だって人間だ。ニンゲンという群体の一部に過ぎない。研究所のニンゲンのように私を裏切るかも知れない。好きという言葉もただの同情、偽善から発せられた一時的なものかも知れない。ニンゲンに造られ、ニンゲンに弄ばれた、哀れなレーヴァテイルへの憐憫の感情。

それに、私は人殺しだ。いつかまたニンゲンへの憎悪に囚われ、殺意を抱かないとも限らない。そうなった時、真っ先に殺してしまうのは、きっと1番近くにいる人間。即ち、彼だ。そんな私と一緒にいたい、だなんて正気の沙汰とは思えない。

 

それくらい猜疑心の固まりだった私の心に、彼はまっすぐに、迷うことなく踏み込んできた。

私の深層意識に眠る、ニンゲンから受けた過酷な体験、そして背負った大罪を彼自らが体験することになっても、彼の心は変わることなく、それどころか一層ひたすらにまっすぐに、私の罪と罰すらも丸ごと受け入れ、「好きだ」と、不慣れなヒュムノス語で告白の詩を紡いでさえくれた。

造られた存在である私、300年以上生きてきた私、殺戮者の私、もうどうしようもなくどす黒く染まってしまった私を全て受け入れ、一緒に生きてくれる人間。

全てを分かち合ってくれる人間。

漆黒の闇の中に白い一点の光を灯してくれた人間。

そんな人間に出会った。出会ってしまったのだ。故郷から遠く離れた異なる世界で。

この出逢いを運命と呼んでしまっていいのだろうか。

彼と共に生きていけば、自分の心の闇は徐々に晴れていくのではないか。そして罪を贖い、まっさらな私として生きてもいいのではないか、そんな思いまで生まれ始めている。

 

 

だけど、私の中でまだ大きな不安として残っていることがある。

ニンゲンと上手くやっていけるか、ニンゲンにまた失望させられるのではないかという類のものよりもっとずっと幼い感情。

それは、

 

『私はいつか彼に捨てられ、また独りになるのではないか』

 

そんな、かつて神すら超越する最強の種とまで言われた自分にとってあるまじき、とても幼く弱い感情。

捨てられ、独りになることへの大きな、深い不安。

 

淋しいのは、もう嫌だ。

 

 

彼とこれから私の故郷へと旅立つ。故郷には、自分の知る範囲でも数人の、魅力的、と言えなくもない女性がいる。

彼は強く優しく真面目な性格ではあるが、色恋沙汰にはとんでもなく鈍感で、それでいて周囲の女性からは自然と好意を寄せられる男だ。

さらに、ここぞという場面で流されやすい。

仮想世界で私の脚本を元に遊んだ時も、妙齢の女に言い寄られ、あっさりと流されていた。もちろんその場でバッドエンド&ゲームオーバーにしてやった。

もし現実世界でも彼が他の女から言い寄られ、誘惑されるようなことがあったら、と考えると、胸の奥の方がきゅっと痛み、そこからじわっと嫌な気持ちが広がっていく。

これがいわゆる、嫉妬、という感情なのだろうか。

動悸が高まる。

感情が上手く制御できない。

考えれば考えるほど悪い場面ばかりがイメージされる。

もちろん彼のことは信用している。仮想世界でのお遊びと現実は違う。彼が、私というものがありながら、他の女の誘惑に乗るような男ではないことも良く知っている。

でも人の心は移ろい易い。どうしても最悪のパターンを考えてしまう。心のどこかに彼を信じきれていない自分がいる。

 

怖い。

安心したい。

どうしたら安心できるのだろう。

どうしたら。

 

 

 

 

 

そうだ。

 

以前文献で読んだあの方法を試してみよう。

彼が私から絶対に離れられなくなる方法。

彼をあらゆる意味で私の虜にする方法。

 

私好みのクレバーなやり方ではないけれど、とてつもなく勇気が要る行為だけれど、

これから彼とずっと一緒にいられるのであれば。

 

 

それは。

 

 

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